La campanella



今日はコンクールの曲を一度あわせてみた。

「アルトサックス3rd、Cの10小節目音小さい。そこの強弱記号fって書いてない?それピアノ。もっと意識しなさい。」

とりあえず今気になったところを大まかに全部言う。アルトサックスだけじゃなくて全パート分。
もっと細かなところは土日の時間あるときにゆっくり、なおかつ効率よく勧めていく。
それまでにパートである程度仕上げておかないと、合奏のときに話にならない。
ちなみにCの10小節だとかは、楽譜が3枚4枚あると何小節あるか数えるのも面倒くさいので、曲の流れで良い区切りごとにA,B,C,Dなどアルファベットで区切っている。



贔屓とか全く無しで見ても今年の吹奏楽部は去年よりも遥かにレベルが高く感じる。
人数の問題もあると思うが、気合が違うのだろうか。

去年は2,3年全員がコンクールに出れる状態だったが、今年は人数がかなり多いために倍率が高くなる。特に2年は私たち以上に必死だろう。ここまでくれば音楽への、吹奏楽への思いの強さが重要だろう。

吹奏楽コンクールは3年連続で全国に行くと翌年出場できない決まりになっている。つまり今年全国へ行くと立海は来年コンクールに参加できないことになる。出演できたとしてコンクールの最後に特別演奏としてでしか舞台に立てない。それでも光栄なことなのだが、やはりコンクールに参加して金賞を取るところを他の学校に見せ付けたい。


「終わります。ありがとうございました。」

『ありがとうございました!』

吹奏楽部の終わりの挨拶だ。とりあえず礼儀はしっかりできないとまともな人間にならない。
初対面には敬語だとか、年上年下は関係なく自分から挨拶をするだとか、上下関係とか中学生の頃からしておかないとろくな大人にならない。
その基礎は「先輩」がしっかりつけてあげないといけない。



今日わかったのか誰一人コンクールメンバーから零れ落ちてやる気は無いという最高の気持ちだった。今日のできはやっぱり皆まだまだと思う。今月中には銅賞レベル以上までもって行きたい。明日から6時間授業が始まるので体力づくりの時間を減らして楽器の基礎練習はそのままでパート練習を増やさないといけない。またミーティングでもしようか。

コンクールのために合宿もあるし、今年もハードな夏になりそうだ。


「あれ、今日は練習なし?」
いつもならそのまま少しだけ練習して帰るのだけど、今日はサッと片付ける。
それを不思議に思った、あたしの横に座っている島尾が話しかけてくる。

「ええ、少し用事が。なに、練習して帰る?」
「ううん、珍しいなと思って。」
「今日用事あるの、電車乗らないといけなくて。」

そう言いながらトランペットに指紋が残らないようにクロスという傷がつきにくい布で拭く。
「じゃあさ、も一緒に帰ろう!」
「別に良いけど。歩くスピードはあわせないよ。」
「努力します・・・。」






ちなみに用事とは人と会うためだ。週一で会う約束をしている、友達というよりも幼馴染というか師弟というか。
いつもなら向こうがこっちに来るので練習してから帰宅するのだけど今日は逆。私が向こうに行くことになった。
今まで一人で音楽聴きながら帰っていたから気づかなかったけど帰るときはいつもこんなににぎやかなのか。でも部員が仲良いことは、部長として嬉しい。
ただでさえこの時間は混むというのに、吹奏楽部員86人中約50人は電車通学だというのだ。
しかもなんかこの車両殆ど立海大の吹奏楽部ばっかり。

・・・ちょっと考えないといけないな。

立海の最寄り駅から13駅離れた、吹奏楽部の中では一番遠い所から通っている2年が電車を下車するのを見送って更に30分。ていうかこんな遠いところから通学して本当よくやるよ。私の家の部屋、貸して上げるから下宿しない?って感じ。
東京駅についてそこで乗り換える。
毎回思うのだけど東京は人が多くて嫌になる。よくこんな人居るとこに毎日毎日居れるよね。これが嫌ってのも一つの理由であたりは徒歩10分の立海にしたんだ。
連絡を入れようとしたのだが携帯の充電が切れていることに気づいた。最悪だ。



時間的にもまだまだ時間あるから本当はカフェにでも入って場所をメールで知らせて、来るまで楽譜見直そうと思ってたのだけど・・・。
どうせ向こうは部活も終わってない時間だから学校に居るし、あたしが言ったほうが効率良く会えそう。

駅から歩いてもすぐにつくし校門の前で待っててもいいか。



□□□



視線が痛い。場所は知ってたけどはじめてきたのよ、警備員が居るなんて聞いてないわよ。しかも出てくる生徒にちらちら見られるのもいやだ、帰りたい。
やっぱり駅で待ってたほうが良かったのかもしれない。ここまで来たら引き返せないけど、学校内に入るのもダメっぽいしね。警備員室とかで尋問されそう。


校門から少しだけ離れて、校門が見える位置の逆U字形の歩道柵に腰をかけた。
ここからなら向こうからも見えるし、ちょっと薄暗いけど私は立海の制服だしけっこう長い付き合いだしでわかってくれると信じておこう。


「あら?あなたは・・・。」


楽譜に目を落とした瞬間に誰かに話しかけられて顔を上げた。
まあまあ顔の整った氷帝の女子生徒のようだったが、みたことあるようなないような・・・無いような。ええ、無いわ。
もしかしたらあるかもしれないが、興味の無いことは覚えていない主義なのだ。

「誰ですか?」

そう言い返せば相手の顔が引きつった気がする。

「まさか、わたくしのことを覚えてらっしゃらないの?!」
「ごめんなさい。」

私がそう言ってもう一度楽譜に目を落としたが、まだ目の前の彼女は去ってくれない。
これが知り合いなら適当にあしらうことができるが、面倒なことになんとなく私に怒りを抱いてるからこれで適当に流せばよけい逆上する。

「どういうことよ!」

勢い良く私に怒鳴ったが、どういうことも無い。知らないだけ。

、このわたくしを本気で怒らせましたわね。」
「・・・ていうかあなた本当に誰なの?」

「わたくしは氷帝学園吹奏楽部の部長、そして先週の全国ジュニアピアノコンクールで優勝した土浦沙耶!どう、これで思い出しましたか?」

つちうらさや、つちうらさや・・・。

「ごめんなさい、氷帝学園の吹奏楽部が全国レベル・・・銀賞クラスだということは存じてるけれどあなた自身は知らないわ。先週のコンクールだって私は出てないし見に行ってないわ。」

「何ですかそれ!わたくしはアナタがこんなにも憎いというのに!」

憎い?あたしが?こんな知らない人に憎まれる記憶など一切無い。・・・もしかしてが何かしたのだろうか。
それだと憎まれても仕方が無い。は攻撃的だから・・・。

一応理由を聞こうとする前に向こうが口を開いた。

「あなたには一度で良いから言いたかったのよ!」
「はぁ?」
顔をしかめて首をかしげると、彼女は思い切り話しはじめた。

「あなた、ピアノ一本というわけじゃないみたいね!昔からどうしてもあなたにだけは勝てなかったのよ!どのコンクールに出てもいっしょ、あなたがかならずうえにいる!
先週のコンクールだってあなたをぶちのめそうと思ってでたらあなたはでてないしどういうことなの!

ですがあなたのことを調べたら・・・ピアノにヴァイオリンの両方の国際コンテストで優勝ですって?!ふざけないでちょうだい!
いろんな楽器に浮気しておいてそんなことってありえないわ!
母親が有名だからって贔屓してもらって、しかも金積んでんじゃないのですか?!わたくしは部活ではトランペットだけ!プライベートではピアノ一本だといいますのに!
小さい頃からピアノとトランペットが大好きで、この二つだけをずっと練習してきたのに、あなたみたいにいろいろな楽器に手を出してるような浮気ものにどうして負けなきゃいけないのでしょうか!
トランペットだってそうですわ!わたくしが出た去年のソロコンテスト、必死で頑張って練習したのにあなたが優勝で私は2位でしたのよ!!
あなたみたいななんとなくトランペットをしてる人に、このトランペットを愛してやまないわたくしが負けたのです!」

「今までの結果さえもあなた裏で手を回してるんじゃな 「あなたは本気で馬鹿なの?」

あまりの馬鹿さ加減に、土浦沙耶が全てを言い切る前にさえぎってしまった。よくそんなばかばかしいことを次々と思い浮かべることができるわ。尊敬すらしてしまう。
言い返すのも面倒くさい。その言い方だと私が音楽に対しての想いがまるで無いみたいじゃない。

楽譜をファイルにはさんでカバンの中に直した。こんな子に絡まれるくらいならこんなところで待ってないで学校の中に入って、あの子のところまで行って部室かどこかで待たせてもらえばよかった。

「早く帰れば?練習したいんでしょ?私に勝つためのピアノとトランペットを。」

いやみも含めてそういうと土浦はわなわなと怒りで震える。

土浦沙耶は私の手を引いて早歩きで氷帝の中まで入っていく。喋り方からしてお嬢様っぽいのにやることは真逆なのね。

「ちょっと、何をするの。」
そういっても彼女は何の反応も見せずにずんずんと進んでいく。
警備員の人だって止めてくれればいいのに。部外者が入って良いのかしら。


途中、前からいまから帰宅するであろう数人のグループと思われる話声が聞こえた。

「あれ、おかしいな・・・。電源が入ってない。」
「なんや自分、彼女でもできたん?そんな携帯ばっか見て。」
「ち、ちちがいます!」
「冗談や冗談。そんな否定してたら逆に怪しいわあ。」


すれ違うときに、この土浦沙耶という人物の怒り具合が伝わったのか、この状況自体なのか、私が他校の生徒だからかよくわからないけど、何事だといわんばかりに立ち止まってこちらを見ていた。
その中に運良く待ち人であった長身の銀髪みえて、目が合ったので助けろと言おうとしたのだが、タイミング悪くグイっと力強く引かれてバランスを崩してしまい立て直すのに必死で声が出なかった。

アッという顔をされたときにはもうけっこう離れていて、もう諦めた。

「え、?何でここに?」
「なんだよ長太郎、今の知り合いか?今の立海の制服じゃなかったか?誰だよ?」
「すみません宍戸さん、また今度で説明します!ちょっと俺も行って来ます!先に帰っててください!」

お疲れ様でしたー!とこちらに言って、すこし慌てた様子で二人を追って行った。

「くそくそ長太郎の奴!やっぱり彼女なんか作ってやがんじゃねえか!」
「てかあの立海生引っ張って行ったん吹奏楽部の土浦ちゃうかった?」
「えええ、どんな関係だよそれ・・・。もしかして長太郎を取り合って三角関係・・・。」
「あほか。」
「悪ぃ跡部、おれ長太郎追いかけるわ。先帰っといてくれ。」

そういって宍戸もまた長太郎の後を追いかけようとした、が。

「まて、宍戸。」
跡部にとめられてしまう。

「なんだよ。」
「俺も行く。何かあっては困るからな。」
見失わないうちに行くぞ、と跡部は宍戸よりも先に走り出した。

「俺らもいくぜ!」
「え?ちょ、待ちや、岳人。」
「俺は興味が無いんで帰らせてもらいます。」

忍足と向日は更に跡部と宍戸を追いかけて、日吉は帰ってしまった。
睡眠中の芥川を背負った樺地だけが取り残されたが、とりあえず跡部を追うことにしたらしく、皆のあとを追うようにゆっくりと走り始めた。



□□□


講堂のようなところについたと思ったらまた引っ張られて、一番前の舞台に登らされた。
氷帝学園って凄いわ、こんなに設備が整っているなんて。

講堂の中には部活か何かで残っている人が数名いた。立海には講堂自体が無いので、まったく何部か想像もつかないけど。


、いまから勝負よ。」
「は?」

全然理解していない私を放ったらかして、土浦沙耶は講堂に居た数名を呼び集める。

「皆少し良いかしら!いまからわたくしとこの横に居る女と、ピアノどちらが上手かをあなたたちで判断して欲しいの!」

土浦がどんな権力を持っているか私は全くわからないが、そこに居た人たちは「わかりました!」とか「土浦様のピアノが聴けるなんて!」とか言ってた。
そんなにこの人のピアノは上手いのだろうか。「あの女誰?」「さあ、どこの制服?」「土浦様にかなうハズはないわ。」とか、よくわからないけど自分がアウェイなことは良くわかる。
ここまでファンが居るということは、あんなイラっとくる態度をされてただの負け惜しみかと思ったけどそこそこの腕前はあるのだろう。私は学校で公にピアノを弾いたといえば去年の文化祭の合唱コンクールの伴奏だけどあんなのは伴奏メインでもないし目立たないし、どこのクラスも弾いているのだからファンなんて居るはずも無い。

「一曲勝負、曲は何だって良いわ。」
「わかったわ。」
「公平に判断してもらうために皆!目を閉じて聞いて!絶対贔屓はしないで!」

この女はきっと本気なのかもしれない。卑怯な人ならここでなんとかして自分を贔屓に判断してもらうだろう。
そして残念ながらこうやって勝負を挑む時点で私のピアノをしっかりと聴いたことが無いだろうし。現に今までの結果だって母の力だとか金の力だとか言ってるくらいだもの。そして私よりも上にいると過信している。

勝ち負けなんてどうだって良いの、私は。これが正式なコンテストであっても、勝手な勝負であろうと。ただ単に私のピアノを聴いたこと無い人に聴かせたいだけ。


バタン、と重く静かに講堂の扉が開く音がして、全員がそっちを見る。
(・・・長太郎?)
ていうか今来たって遅いんだって。

やっと来た今日の待ち合わせ人物にため息をついて、見なかったことにした。もう土浦は戦闘モードに入ってるわけだし、私だって聴かせるモードに入ってるんだもの。
そして少しにぎやかになったと思ったらさっきすれ違ったときに居た長太郎と同じ氷帝のテニス部のユニフォームを着た男子生徒が数名立っていた。

!」と、長太郎は私を呼んだが、とりあえず今は無視した。
すると土浦は、テニス部に「テニス部の皆様もいらしたのですか。・・・せっかくですしクラシックバレエ部の後ろに皆さん座っていただけますか?」といった。
クラシックバレエ部・・・。すごい部があるものね、と感心した。まあクラシックバレエ部なら音楽にもある程度うるさいでしょう。

「ていうか何が始まるわけ?」と、背の低いオカッパの男子が言った。

「今からピアノ対決をいたしますのよ。先ほどこの方に侮辱されましたの。なのでわたくし、少し怒りを覚えまして。ぜひどちらのピアノが心地良いか、上手かをあなたたちで判断して欲しいのです。」
そういうとテニス部たちも納得したのかよくわからないけど、一人の男子が「面白そうだな・・・座るぜ」と皆を促したお陰ですんなりと皆座った。長太郎が心配そうにこっちを見ている。ていうか侮辱した覚えないんだけど。誰か覚えてないだけでそこまで言われないといけない?

「てゆーか、土浦ってピアノ超うめーじゃん、コンクールとか結構で入賞してるし。」
「そういえばそうやなあ、あの立海生大丈夫なん?なんか別の楽器みたいなん持ってるけどピアノとか弾けるん?」
「ちょっと可哀相じゃね?」

不愉快な言葉が聞こえる。こんなことしてる暇があれば早く家に帰りたいのに。長太郎だって少しむっとしてるし。

「そうね、あなたのほうが不利になってしまうわ。だから先攻後攻選ばせてあげる。わたくしの演奏後だとプレッシャーかかるでしょうに。先に終わらせておく?」
「いいえ結構。私はどちらでも良いわ。順番なんかで実力が変わるような技術は持ってないの。」

そう、じゃあわたくしから。と、椅子に座って鍵盤に手を置く。選曲はなんだろうと思ったらショパンの子犬のワルツ
自分から勝負を持ちかけてくるだけのことはあるようで、腕はまあまあ確かなようだ。私もショパンが好きだしこの曲だって昔はよく弾いていた。
だけど何かが物足りない演奏だ。指の柔軟が足りていないのかもしれないし・・・。なのにクラシックバレエ部もテニス部も聴き入ってる。
もはや音楽に聴き入ってるというよりも、きっと氷帝ではピアノの天才とでも呼ばれているのであろう「土浦沙耶のピアノ」という名前があるからこそ聴き入ってるのかもしれない。

なんというか、段々聴き飽きてしまってあくびさえ出てくる。そうそう、私が弾こうと思っているのはリストのラ・カンパネッラ。カバンの中に楽譜が入っているので取り出して読んでおく。
そうこうしているうちに土浦の演奏がおわった。

観客の拍手に包まれてすごいどや顔でこっちを見てくる。

「ほら、次はあなたの番よ。」
そういって彼女の横を通り過ぎる際に小さな声で「恥をかけば良いわ。」といわれた。


ちょっとカチーンときたので弾く曲をたった今変えることにした。
用意していた自分の楽譜をカバンの中に戻して別の楽譜を出した。曲名は同じくラ・カンパネッラ。
最初に弾こうとしていたのは『パガニーニによる大練習曲』のラ・カンパネッラで、今から弾くのは『パガニーニによる超絶技巧練習曲』のカンパネッラ

何が違うかというと、超絶のほうが初版で大練習曲のほうが改正版。ちなみに改正版のほうが有名だからそっちを弾こうとしたけど止めた。
今から弾く超絶のほうはこの曲を作ったリスト以外には弾きこなせないと言われるほどの超難曲で、今は少し簡単になっているけれどそれでも難易度は高い曲なので、私の技術を見せびらかせるには丁度良いかと思った。

それに、ラ・カンパネッラはどちらでも私が好きな曲。コンサートなんかでは最後のアンコールに弾くのだけど、いつもスタンディングオベーション。
椅子に座り深呼吸し、集中して鍵盤に手を置く。




□□□




弾き終わったところで拍手が来ない。何かと思えば観客が絶句していた。目を閉じることさえも忘れて私のことガン見。長太郎はただ一人嬉しそうスタンディングオベーションだ。演奏の自己評価は、ミスタッチ自体は0で完璧、でも演奏自体は最悪だった。

「何や、あの子・・・、むっちゃ上手いやん。」
「指まじで10本?」
などと、私にとっては満足できなかったのにまわりは私の演奏に満足したのだろう。雰囲気はもう私のものになった。
誰もが土浦沙耶よりも私のほうが心に響いた、と。顔に出ている。


!」

そういって客席からあがってきたのは、なんだかずっと側にいたのに遠かった気がする鳳長太郎。
一体何があったの?と聞きたそうだけど、まずは帰ろう。

「行くよ、長太郎。」

そう言い、呆然としている土浦を無視して自分の楽譜をかばんに直し、楽器とかばんを持って帰ろうとした。
「おい、そこの立海生。」

多分私のことだと思って振り向くと、泣きホクロが印象的な男子生徒がこっちに歩いてきた。
「お前、名前なんていうんだ?」
「なんで名乗らなきゃいけないのかしら。」
「あーん?」
「普通そっちから名乗るのが礼儀だと思わない?」
いかにも鬱陶しそうな顔でそういえば向こうはハッと笑った。なぜか他の男子生徒はビクビクと私を見ている。なに、この男そんなに怖いの?

「俺様は跡部啓吾だ。」
「あら、そう。それじゃあ。」
そういってここから去ろうとすると後ろから腕をがっしりとつかまれたので睨み付ける。
「何?」
「てめえ・・・。俺様が何のために名乗ったと思ってやがんだ?アーン?」
「私は名乗るなんて一言も言ってないけど。」
「気の強い女は嫌いじゃねえぜ?」

ピリピリとした雰囲気の中、「!待ちなさい!」と土浦沙耶に私の名前を叫ばれてしまう。
名乗らないつもりだったのにバレてしまった。ははーんという顔でこっちを見る跡部を一睨みして目を逸らした。

「何?」
土浦にそういうと舞台から降りてツカツカと私のほうまで来た。結構な歩く早さと鬼のような血相なので他のテニス部員も巻き込まれまいと必死で道を譲っていた。

「あんなのマグレですわ!どうせでたらめに弾いただけでしょう!そうよ!あなたなんかにあの曲が弾けるはず無いでしょうよ!なんていやな女!」
変な言いがかりを付け始めた。どこまで負けず嫌いなのよ。

「やめておけ土浦。」
何かまだ言おうとしている土浦に、跡部が間にはいって止めた。案外気は利くのかもしれない。
「何ですか!」
「こいつのピアノは本物だ。俺様が言うんだから間違いねえ。さっさと諦めろ。」
そういうと土浦は悔しそうに私を見た。

なので、跡部の手を振り払って一歩出る。


「私は何をやってもうまくできる天才型なの。お解り?あなたがどれだけ楽器を練習してきたかなんて知らないしどうでもいいわ。努力しても私より上手くならないからって私に当たらないで。あなたの頑張りより私の技術のほうが上だったまでのこと。」
私がそう言えば向こうは怒りのせいか震えている。音楽が関わるとどうしても喋りすぎてしまうのは私のダメなところ。

「確かにね、努力だとか練習だとか私はしてないわ。そもそも私は音楽が好きだから好きなことを好きにしてるだけよ。私は個人的に頑張ったり努力なんてしない主義なの。好きなことは"頑張る"必要なんて無いもの。意味がわかるかしら?食事好きな人が食事を頑張る、食事を努力するなんていうかしら?明らかおかしいでしょ。まあ、技術があるから言えることなんだろうけれど。」


「本当に好きなことなら頑張るとか努力とか言葉を使わなくたって・・・好きなことを好きなだけしたいからやった、で十分なはずよ。私は努力したとか頑張った、なのにダメだったとか、言い訳がましいことを言った時点であなたは論外。
それに頑張ったかどうかは自分じゃなくて他人が評価すること。うちの部員だって頑張ってるし毎日努力してるわよ、でも当の本人達はその頑張った意識は無いんだって、音楽が好きだからしたいだけなんだって。」

「あと、賞がほしい気持ちはわかるけど、勝ち負けのための音楽なら今すぐやめたら?優勝とか1位とか肩書きがないとやっていけないの?そんなのばっかりだと名前や肩書きでしか自分の音楽を聴いてくれなくなるわよ。さきほどの演奏みたいに。意味わかる?名前と肩書きに期待して、聴く前からこの人のピアノは素晴らしいって洗脳されるの。下手でも上手くきこえるけど、心には響かない。私はね、肩書きや名前での期待以上の演奏ができるからコンクールとかに出るのよ。あなたとは違う。」

「そもそもね、私が国際コンクールとかソロコンテストに出るのは他人と競うためでも誰かに採点してもらうためでも肩書きが欲しいわけでもないわ。
目的はただ一つ。私の才能を見せびらかすためよ。私の実力じゃ賞が取れるのは目に見えてわかるのよ。あんなのね、いらない。
吹奏楽部を全国大会出場するのも、全員の技術をみせびらかせたいの。それだけ。」

そういって少し笑うと、土浦の顔がもっともっと悔しそうに変わった。私は本当に性格が悪い。

「決定的に違うところを教えましょうか?
あなたは楽器が好きなのよ。ピアノとトランペットで演奏するのが好きなだけ。

私は音楽が好きなの。この違いわかる?
私は全ての楽器を、全ての音楽を愛してるの。例え手拍子だろうが足ふみの音だろうが、全てがすきなの。あらゆる楽器の中で、私の息遣いや指使いなどからだとの一番相性が良いのがヴァイオリンとピアノとトランペットが同着1位なだけよ。もし私が和太鼓や三味線やテルミンと相性がよければ今頃それをしてるわ。・・・そろそろちゃんとおわかり?あなたと私、比べ物にもならないってことが。

あなた、もし立海(うち)にきたらパートリーダーにもなれないわよ。」

そこまで言えば、私は長太郎に「帰ろう。」とだけいい残る観衆を放って次こそ講堂から去ろうとした。
扉を開けてもう一度振り返り土浦を見たが、まだ下を向いて両手を握り締めている。
その土浦に追い討ちをかけるように私は口を開く。


「講堂のピアノ、調律できてなくてすごく弾いてて最悪だったわ。それに気づかないあなたの耳はどうなっているの?ピアノも向いてなんじゃない?」

そういって講堂の扉を閉めた。
気に入らない人には、私は容赦ない。勝ち負けにこだわりすぎて音楽本来の楽しさを忘れている人が、私は嫌いだ。
最初からできないと、最初から負けだと決め付ける人。まるで、私の母みたいだ。


残された土浦は恥を思い切りかかされて、言われたくない一言を言われてしまったのだ。恥ずかしすぎて悔しすぎて顔を上げることもできない。

跡部はほんの少しあんなにも言われ放題言われた土浦を不憫に思い彼女を見たが、特にかけてやる言葉も見つからないし興味はにあった。気が強くて思ったことを遠慮なく言う、ピアノが凄い上手くて変わっている女に。
氷帝には自分にたてをつく女や自分に興味が無い女が居ないからかなり新鮮なのだろう。

「おい、あいつらを追いかけるぞ。」

そういって長太郎達を追いかけた。
単純に気に入ったのだ。のことを。