La campanella 今日は入学式のため授業は無い。いつも通りトランペットケースを持って登校中だ。私には入学式に出るような暇は持ち合わせていない。 昨日は普通に仁王に送ってもらった後、写譜をしてその後の記憶がない。 とにかく気づいたら朝、床で寝転がっていて変わったことといえば右腕のリストバンドの下のこれ以上傷つけようの無い皮膚の塞がりかけの傷の上からさらに切りつけたのか…新しいかさぶたができており、血を拭いたティッシュとともに血まみれのカッターナイフの替え刃が落ちてあった。 今まで私が生きてきた時間は全て私のものではない。ところどころ私じゃない私が私に成りすまして私の時間を奪っている。 しょっちゅうあることなのでいまさら驚いたりはしない。私の中にもう一人別人が居る。それだけ。 そういう精神的な病気だ。解離性同一性障害・・・いわゆる多重人格で結構深刻。もう一人の私が私と正反対のとんでもない奴らしい。そのほかにも精神病の類をわずらっていて、休学をしろだとか入院しろとか言われているだが絶対嫌だ。 普通のときは人と普通に接することができるが、一旦落ちてしまえばもう世界ではみだした気分になって誰とも関わりたくなくないし人形のように何もできなくなる。完璧主義ゆえに周りが凄く気にもなるし、音楽以外では私はとてもネガティブだし薬がなければやっていけないし、薬の副作用はきついし一向に治る気配もないしで最悪だ。 なんだかむしゃくしゃして、不安になって血まみれのカッターナイフで赤い線をまた一本。いけないいけない、登校前にはダメだ。 神の子だといわれても結局は私は普通の中学生。部員は私を完璧だというけれど、完璧主義ゆえ完璧に見せてるだけで実際は、弱い人間だ。 顧問の田代、副部長の田垣外 高見は私の病気の全てを知っている。音楽に対する気持ちも何もかも話してあるつもりだ。だから解ってくれている(はず)。 だけど彼らは知っているのは病気のことだけでそれに至った経緯や理由や過去などは何も教えていない。私だけの、秘密。 小さい頃から不思議に思うことが多々あったが、「私は何のために生きているのだろう」と思うことが多かった。毎日のように考えている人生最大の疑問だった。 私にはまともに親が居ない。 父は既に死んでいる。元は有名アーティストの楽曲を手がけるなど業界だけでは有名な音楽プロデューサーだった。 母は世界で活躍するピアニストで、今は海外でハリウッド俳優の恋人と一緒に住んでいるらしい。テレビでニュースになっていたのを覚えている。あの有名俳優が母の恋人だなんて正直複雑だ。 私は両親の間の一人っ子だけど、愛するために生まれた子供ではなくて出来てしまったから生まれた子供。 音楽家の両親は、開かれたパーティーで酒に酔い、お互い名前しか知らないまま間違えたワンナイトラブで私が出来てしまったらしい。私を中絶するには気づくのが少し遅くて、産まざるを得なくなってしまったが、シングルマザーは世間体が悪いということで無理やり結婚した、と生きていた頃の酒に酔った父親に笑いながら聞かされたことがある。 母親は私と父を置いて出て行った。もちろん私をこれっぽっちも愛していない。アルコールやドラッグに溺れて暴力を振るう父に愛想をつかせたのだろう。私の存在も、戸籍上実子とは言えど気持ち的にはあかの他人だったので、そんな父の下に私を置いて出て行くことはたやすい。 あの人が出て行くときに、あなたなんて出来なければ良かったという捨て台詞を残して去っていったからである。それをきいて隣で父親は笑っていた。小学校3年生のときだと思う。 私からすれば毎日の夫婦喧嘩と、それぞれからの家庭内暴力から開放されるなら良いと思っていた。私も母と同じように母を他人と思っていたからだ。 家の使用人の噂では、母は陣痛のとき、何故この子のために私が痛い思いをしなければならないの、と叫んでいたと言っていたらしい。産まれた時も私を一度も抱かなかったとも聞いた。父が居なくなった今、もう随分と顔もあわせないのに何故戸籍が一緒なのかといえば、私が将来活躍するであろう音楽家だからきっと儲かる、それだけ。 そして母が出て行ってから父と二人きりだったが、別になんとも思わなかった。殆ど顔をあわせることが無かった。 一度だけ私を置いていった母を恨んだのは、父に力で無理やり押さえつけられ大麻を吸わされ、そのまま処女を失ったときだった。小学生であった私が到底敵うはずもない。 父は、私が小学5年生ときに酒とドラッグに溺れ首を吊って死んだ。 その第一発見者が私で、一週間程海外で行われた国際音楽コンクールのために家を空け、生まれて何度目かの優勝を果たし戻ってきたときで、死後一週間のその死体の残酷さに暫く何も口に出来なかったし楽器も触れれなかった。 ぶっちゃけホッとしたというのも本音だが、今でも鮮明に残ってて不愉快極まりない。 使用人は何故気づかなかったかといえば、父の部屋に近づこうとはしなかったからだ。 母は父の葬儀にも来なかった。 別になんともない、なんとも…。終わった過去など私には関係ない、と思っているはずなのにこうやって病気になっているということは心は限界なのだろう。 忘れるようにシャワーを浴びて、周りの皮膚と違って赤黒い横線で埋め尽くされているそれを隠すように、太目の10cmほどの長さがある3年間愛用しているリストバンドをつけて登校。 □□□ 教室に一旦行ってとりあえず荷物を置く。 そういえば改めてみるけど知ってる人が殆ど居ない。まあ別に友達の輪とやらを広げる気は更々無いんだけど。私には友達というのは吹奏楽部員が居ればそれだけで大丈夫だ。 「おはよう、ちゃん…!」 「おはよ田垣外、いきなりだけどいつものアレだから音楽室こもってくる。」 「え、大丈夫?あ、ちょっと、ちゃん〜!」 一刻も早く出て行きたかった私は、貼り付けた笑顔で田垣外にそう言い私を呼び止める声も無視して荷物を持って教室を出た。 いつものアレとだけ言えば、朝から精神的にしんどいことだと解ってくれる。そうなれば決まって音楽室へ行く。楽器をちょっと触って気が落ち着いたら教室へ戻る。中々落ち着かないときは授業の関係でいつまでも音楽室にいてられないので何か楽器を持って立海ホールや旧校舎などへ行く。保健室登校ならぬ音楽室登校。 ポケットに音楽室のスペアキーがあるのを確認して早足で歩く。音楽室の横の楽器室のスペアキーは一応部長副部長に配られているのだ。 B組A組の教室を曲がった階段のところまで来るとテニス部の連中と出会ってしまった。朝錬が終わった後らしい。今は早く楽器を触りたいのに、昨日の今日で話しかけられる可能性が凄く高いことで昨日友達という枠の中に入ってしまった自分を少し恨んだ。 「おはようさん、ありゃ?どこ行くんじゃ?」 「どーも。どこでもいいじゃん。」 そういって目も合わさず集団の横を通り、階段を上ろうとしたら左腕をつかまれてしまった。真田だ。この人は私の腕を掴むのがすきなのだろうか。左腕には何も無いから別に大丈夫だけど、今日は…とくにこの今は本当にそっとしておいて欲しい。けどこいつらになんて私の心のことなんか教えてあげない。どーせ気持ち悪がられるのがオチだ。田垣外たちに話すのにも2年かかったというのに。 「放してくれない?」 「む、今から入学式だろう?」 「出ない。」 ていうか女子の視線が凄いんだけど。テニス部って本当に人気あったんだ。普段こーゆーところで注目されることなんて無いからいづらいや。 「学校の行事たるもの、サボりとはたるんどるぞ、。」 「あのさあ、放っといてくれないかしら。私がさぼろうがどうしようがあなたたちに関係ないでしょ。」 「こら…そんなの言い方はダメだよ。さ、教室に行こう?」 「あんたたちしつこいね。私は最初に音楽室に行くといったはずよ。」 後ろから出てきた幸村にもう片一方の腕をつかまれてしまうが目をあわさずそういって腕を振り払い階段を上がった。 何あの態度ー!と女子の声が聞こえてくるが、気にするほどじゃない。だって私はあの人たちの顔も知らない。楽器より先に一服でもしよ…。 「…やっぱあいつ感じ悪くね?」 丸井がガムを膨らませながらそう言う。確かに昨日と全然態度が違う。 元から柔らかい人ではないことも知っていたが、思っているより冷たい人かもしれない。もしかして幸村はとんでもない奴に友達になろうと声をかけたのかもしれない、とここにいるテニス部の殆どが思った。柔らかくなるのは部活の仲間の前だけだろうか。 「いや・・・2年のときからあーじゃよ、たまーに朝機嫌が悪いみたいで目もあわせてくれんのじゃ。ほんで、どっか行ったきり戻ってこん。」 そう困ったように笑う。 昔からこういうことが度々あったようだ。柳ノートにも書いてあったように変わり者らしいからそういうことなのかもしれない。 「俺、ちょっと見てくるよ。」 幸村はそういって階段を上っていったを追いかけようとしたがそれはかなわない。 「行っても無駄だと思うよ。」 「高見…?」 突然聞こえてきた声――吹奏楽部副部長の高見駿也の声に一番に反応したのは彼と同じクラスの真田だ。 「君たちがいつと仲良くなったか知らないけど・・・あいつのこと何とかしたいって思うんならそっとしておくのが一番だよ。なに、機嫌が悪いだけだから大丈夫。」 それでも何か言いたそうな幸村を見て高見はさらに言う。 「なに?わからないの?はその同情まがいな事を嫌がるから言ってるんだよ。君たちが行ったところで返事すらしてくれない。仕方ないよ、君たち別に仲良くないしね。」 高見はそう言ってさっさと教室へ入っていき、なんだか気に食わない、と全員が思う。 「吹奏楽部ってろくな奴いねえな。」 丸井がそういうとジャッカルがうなずいた瞬間、窓際の席に座る高見が廊下へ顔だけを出した。 「言い忘れてたけど昼1時間グラウンド借りるね。拒否権は無いよ。あと、君たちの会話聞こえすぎ。訴えるよ?…冗談だけどね。」 言うだけいい、顔を引っ込め窓を閉めた。全員ポカーンとした顔で、さっきまで高見の頭があった場所を見ていた。 「部長がああだと部員も似るのか?」 柳の質問には誰も答えられなく、幸村と仁王は柳の質問に耳を傾けることなく面白くなさそうに自分の教室へと歩いていった。 □□□ 着いた場所は音楽室の横にある非常階段。非常階段は外に出ているために空気もよく、音楽室や校舎外にも滅多に人も来ないために好きなことし放題。少し寒いが気持ちが良い。 制服の胸ポケットからタバコを一本出して火をつけようとしたが、風が強いので体を向かい風に向けても火はつかないし風から火をかばうように立っても髪がなびいて燃えそうになるので、ヤンキーじゃないけどしゃがんで火をつけて一息。 私のタバコはメンソールが入っているマイナーなタバコ。すい始めたのはいつだっただろうか?小6くらいだったかもしれない。 校舎内では臭いが残るし屋上はいつ人が来るかわからないし、なにより私は生徒や先生認知の不良でもないので堂々と吸えないし停学になってしまえば終わりだ。この非常階段でしか吸えない。 煙が目にはいって涙が出る。 同じく胸ポケットに持っている携帯灰皿に吸い終わった吸殻を入れて校舎に戻った。 非常階段を挟んで前が楽器室、左が音楽室。音楽室と楽器室の端にはドアがあって、互いを行き来できるようになっている。 筋トレのために体操服に着替えておき、楽器室入って立ててある譜面台を一つとってもう一度非常階段に出て自由曲の楽譜を置く。風で飛ばないようにクリップで止める。 トランペットを組み立てていきなりマウスピースをつけ、サイレントミュートを付けようか迷ったが式が行われている体育館から校舎の中でこの音楽室が一番遠く大丈夫だろうと思いそのまま音を出す。楽器を暖めてから楽譜をさらう。 サイレントミュートとは、音を小さくする器具で、本体をミュートをベル(音が出るところ)に差し込んで、ミュートを小さな四角い機械につなげ、機械にはイヤホンを差込み吹けば、外へ音は殆ど漏れないが、イヤホンからちゃんとしたトランペットの音が聞こえてくるものだ。ベルに差し込むので息が通らなく吹きにくいし重いし好きじゃないけど、音が出せない場所での練習や夜中の練習なんかに使える。 自由曲は華やかなワルツだ。吹いていて楽しくて聴いているほうも楽しくなるような曲。今年の課題曲に比べて難易度は少々あがってしまったが、今の立海大中吹奏楽部・のレベルなら全く問題が無い。 気になるところがあれば自分が納得できるまで何度も何度も繰り返し、自分の中で完璧へ近づける。作ったのはこの私だ。私が1番ちゃんと完璧に近くなければ意味が無い。 もう一度最初から通して吹いてみようとトランペットを構えたとき。 「せんぱーい!」 いきなり後ろから非常階段のドアが開く音と一緒に聞こえてきた高い声と抱きつかれた衝撃で我に返り声のほうを向くと2年部員・クラリネットパートの野染紗子(のぞみ・さこ)だった。 彼女はちょっと頭はよろしくないが愛嬌のある島尾タイプの人間でいざとなればしっかりしていて2年のリーダーを務めている。楽器の上手さは本当に普通。 「いつも一番乗りの先輩がいないから吃驚したじゃないですか!皆揃ってますよー!」 ここから音楽室の中が見えるので、そちらに目をやるとすでに全員既に体操服に着替えており、筋トレ後すぐに合奏ができるよう椅子を並べてるところだった。 集中しすぎて時間が経っていることに気づいていなかったらしい。 「それより野染、私が楽器を持っているのに体当たりは禁止だと前に言ったはずよ。もし楽器をぶつけてしまったらどうするつもりなの?」 と私が言えば顔を真っ青にして逃げていった。 管楽器にランニングは必要不可欠で、肺活量を鍛えるためにするもの。意外と吹奏楽部は体育会系で、激しいものを数曲演奏すれば息が切れるし疲れる。 指は怪我できないし腱鞘炎は起こすし顎関節症で顎おかしくなるし結構大変なのだ。 「ごめん、のめり込みすぎてた。」 音楽室に慌ててもどり、一応謝っておく。ボーっとするなんて珍しいじゃんとか突っ込まれながら時計で時間を確認する。 「高見、グラウンドは?」 「許可貰っておいたよ。」 「ありがとう、じゃあ皆5分で昨日と同じ並びかたしてね、遅れた人はプラス10週…スタート!」 私の掛け声で皆、プラス10週なんて絶対嫌だといわんばかりに慌てて走り出し、私も音楽室の鍵を閉めて後を追う。 すっかり私の心のモヤモヤは消えていた。 → |