La campanella





「いちにさんしー」ごーろくしちはち
「にーにさんしー」ごーろくしちはち

まだ午後からの練習に余裕があるのでウォーミングアップがてらに外に出るとテニス部から比較的近いところで70人くらいの団体が準備運動をしていた。もちろんテニス部ではない。
一番前でいちにさんしと声をかけてるのはということからこれが吹奏楽部だと思う。暇つぶしがてらに準備運動をしながら見ることにした。

「前から前年度の星組、花組。それぞれ先週したスポーツテストの成績順に4列右から並んでください。制限時間は15秒です。・・・開始」

彼女の一声ですばやく動き始め、きっと15秒も経たない内に並んでしまった。的確な指示、それにこの人数をすばやくまとめるなんて、やっぱりが部長なんだと改めて実感した。
うちのテニス部よりも部員が多いだなんてはじめて知った。新入部員が集まればもっと多い人数になるだろうな。



そしてが手に持つ小さな機械にスイッチを入れると一定の二種類の音が聞こえる。メトロノームのような、でも俺の知っている振り子が左右にゆれ、カチカチとなるメトロノームとは全然違う。

「このデジタルメトロノーム。テンポ60の8ビートで鳴らします。まあ実質テンポと変わらないんだけどね。表拍が右足、裏拍に左足がくるように走ること。全身で8ビートを感じて走りましょう。とりあえず…グラウンド20週いきます。走る歩幅はどうでもいいからとにかくテンポは守ってください。
終わった人から腹筋腕立背筋バービースクワット50ずつやって、それが終了したらココで休憩してください。バービースクワットはきつい分結構痩せるので痩せたい人は必死でがんばってください。」

そういってを筆頭に走り始めた。運動部並のメニューだと思うが、たかが吹奏楽部がどうしてこんなに体力をつけるのかあまり理由がわからない。

ふと時計を見ると時計は1時を少し過ぎていたので慌てて部員を集合させて本格的なウォーミングアップをし、練習が始まった。

「なんだ精市、気になるか?」
ふと柳は俺に話しかけてきて、何のこと?と返したが本当はわかっている。

「さっきのことあったばっかだもんなー!どうしてもあっち見ちまうぜ。」

丸井の指さした方向には集団とちょっと離れ、鳴ってる一定のリズムに合わせて前を走るが居た。
走りながら何か紙を見て、時折そこに何か書き込んでいる。
必死で走っている後ろのほうの・・・多分2年に比べればずいぶんと余裕があるようだ。

の少し後ろに今日話した田垣外が付いてきているが、結構きつそうだ。走り始めてきっと20分は経ってるだろうから。

さんの体力はすばらしいですね。」

昼に生徒会の用事で部室に居なかった柳生が混じってきたが、仁王と仲が良いからか柳生もを知っているそうだ。
「うむ、日ごろから鍛錬を怠っていない証拠だな」

ジャッカルとの試合が終わった真田は感心しながら汗を拭きながらそういう。









全部員はノルマを私よりも20分遅れでグラウンド20週+αを終え、それが終わると最初の場所に適当に並ばせて座らせた。終わった人から休憩。遅い人は休憩が短い。
横から聞こえてくるテニス部の打ち合う音が聞こえて楽しく思う。いちいち頭の中でドレミに変換されるのが面倒くさいけれどこれもひとつの才能だと思う。



「今年のコンクールの課題曲はマーチにしました。楽しいし。 今年のコンクールも前年どおり本番一ヶ月前にオーディションして星組と花組に分けます。1年生も混ぜるし落ちないように必死になってください。私が直々にスカウトした子も入学してるはずなので負けないように。

音楽室に戻り次第、ピアノの上にパートごとに楽譜をおいているのでパートリーダーが取っておいてください。
一旦基礎練習をした後に木管の高音楽器から順番に音楽準備室にて1st,2nd,3rdの順で私が演奏するのでそれぞれのパートごとで決めるときに参考にして下さい。自由曲は完成しだい皆さんにお渡しします。

今年の自由曲は楽しいワルツにしました。去年より少し難しいけどあなたたちなら大丈夫でしょう。
とにかく、今日から課題曲には取り組んでもらいますが解らないところがあれば聞いてください・・・絶対にうやむやにはしないように。私たちは今年も全国で金賞を取ります、絶対に。以上です、では8分以内に音楽室に戻り合奏の準備ができるよう椅子を並べましょう。最下位から三名には部室の掃除をお願いします。」


1st,2nd,3rdとは各楽器内で更にパートに分かれる。1stは主に主旋律だったりするし2ndはちょこっと主旋律で3rdはほぼハーモニー担当。
基本的には上手い人が1stと担当する。ざっと説明すればこんなとこだ。


そしてパートごとに集めてメロディや流れを知ってもらうために私がそれぞれの楽器で演奏をする。もちろん皆と同じタイミングで楽譜を目にするので初見演奏で強弱記号は何気におろそかになるがメロディーやリズムなどは基本的に間違えない。
これはきっとそんじょそこらの人にはできないことだと思う。

全ての楽器を演奏するには技術だけでなく、息の入れ方に吹き方、マウスピースの大きさや形、指使い、そして楽譜の違いも理解しないといけない。そして楽器の調について。

楽器によってト音記号へ音記号が違うし、なによりも楽器ごとでは調が違う。調が違えば楽譜の表記も違うし、各調のドレミファソラシドで♭が付く場所も数も違う。「ド」というのはただの基準音でしかなく、調によって位置が移動してしまうのです。ドレミの日本名のイロハニホヘトを使えばわかりやすいが、ピアノのド=ハなので、ドレミファソラシド=ハニホヘトイロハ。

ピアノがハ長調だからみんなの知る「ド」の位置が「ド」だけど、楽器の調がト長調とかホ長調に変わってしまうと「ソ」や「ミ」を「ド」と呼んだり変わってしまう。トランペットは♭B管(変ロ長調)が主で、変ロの音が「ド」、ホルンはF管(ヘ長調)が主体なので「ヘ」の音が「ド」の楽器だ。ハ長調ならハの音がドでニ長調ならニの音が「ド」、ホ長調ならホの音が「ド」・・・というように超によって「ド」の位置が変わることを「移動ド」という。
まあ、調が違う楽器は音楽の教科書に載ってるハ長調の楽譜と調が違うので、ピアノと同じように譜面を解釈して音を鳴らせば全然違う曲になってしまう。

それを踏まえると、ドレミは同じ調の楽器内でのみ使えるが全体になったときに「ド」の音鳴らせといえば間違いなく不協和音になるので調が移動しようとも名前の位置が変わらないイロハが有効だがイロハと同じような効果で、ドイツ読みのC(ハ)D(ニ)E(ホ)F(ヘ)G(ト)を利用する場合が多い!

それを理解したうえでもすぐにそれぞれの楽譜を頭の中で切り替えるのは結構難しいが、私はそれをできるので吹きこなせる。


よーい、どん!といった同時に自分も含む皆が駆け出した。
それはグラウンド20週開始の合図からちょうど2時間だった。









「よし、8分丁度で終わったね。申し訳ないけど各パートのパートリーダーは余分に楽器1つ出しておいて!アップ開始!」

そういってあたしは自分のトランペットを自分のケースから取り出しアップのためにヴァズイング(マウスピースだけ吹く)を始める。ヴァズイングにはあまり意味ないらしいけどアンプッシュア(唇の形等)の確認のため。
ウォーミングアップが終わればそこで楽器本体に付けそこで初めてトランペットの音が鳴る。
木管金管打楽器・・・いろいろな音が混じって私の耳を刺激する。
音の中は本当に心地がいい。


私が演奏できる楽器の中でこの吹奏楽部においてトランペットを吹くことにした理由は本当に単純。有名で目立つからだ。
トランペットの音は目立つしかっこいいし、吹奏楽の並び方は管楽器の後ろで向かって左にトランペット、その右横はトロンボーンが並ぶことが多い。
そして私はトランペットの1stなので楽団の1番真ん中に座っているわけだ。でもうちの部は人数が多くトランペットだけで8人トロンボーン8人居る。今だから1列で並べるものの前の3年が居たときやこれから入ってくる1年を加え、1列にすると横に広がりすぎるので2列に分かれてる。私は前列だ。余計目立つ。

舞台に上がるときだってトランペットは一番高いひな壇に上がることが多く、雛人形のお内裏様の位置。

とにかく席が気に入りトランペットを選んだ。トロンボーンでも良かったのだけどスライドする感じがどうも私には好きになれなかった。他の木管楽器などはひな壇にも上がらず人も多いので真ん中に座っていたら誰が誰かわからなくなってしまう。

そんなのはいやだ。どうせならおもっきり目立ちたいって思うのは仕方ない。やっぱり演奏を聞く人に私の音を聴いてもらいたいし私の音を印象に残らせたい。覚えてほしい。エリック宮城(中学でプロになったトランペッター)やショパンやリストやパガニーニのように、世界でという名前を轟かせることが私の小さな頃からの夢。

まあ私は今、プロの道は選ばなかったけれど。今ならなくったってできることはたくさんある。賞だって優勝だって取れるし演奏会に国内の最高メンバーとして呼ばれて飛んでいったり。それにプロなんてまだまだ先になれる。

それよりも私は今居る開花したての吹奏楽部のほうが面白い。

このヘボと呼ばれた吹奏楽をどこまでレベルを上げることができるか本当に一種のかけのようで楽しい。

おまけに急激に上がったレベルをみて、立海大が全国の吹奏楽部に注目され、ココまで上達させたのが私であるとわかれば私が注目されプロになりやすくなる。
もともと私は小学生の頃からウィーンなど海外では有名だったりもしたが、日本ではまだまだ知名度が足りないからね。
私のことを知ってるのはよほど音楽が好きな人やピアノ・ヴァイオリンに熱を入れてる人、コンクールの全国大会常連校や関東の中学くらいだろうか。

あたしが入部してから立海大はレベル上がり私は知名度も上がる。一石二鳥ってやつだ。
そんな私はちょっと計算高いというかなんと言うか・・・。


私のトランペットはMarcinkiewiczのおおよそ65万円のものだ。本体はシルバーでベルの部分には装飾が施してある。ピストンと、上下のネジはゴールドで、指を置くところは青い樹脂が埋め込まれている。
どっからどうみても私のだってすぐわかるしこんなピストンの色をしたトランペットなんて中学生は普通は持たない。

何よりピストンの樹脂が、銀色というより城に近い本体の色、そして装飾・・・どれをとっても綺麗で私は凄く大事にしている。
本当に一目ぼれで買ったのだ、このトランペットは。もちろん自分のお金で。

もしこれを壊されたりしたら私は発狂するだろう。



ちなみに音楽室の掃除は見事私に当たってしまった。・・・テニス部のせいだ。

グラウンドでのこと。
よーいどんで走り出したときに足元にテニスボールが転がってきてテニスコートを見ると手を振る幸村精市がいた。始業式に話しかけてきた奴だ。

「すまない、さん!ボールとってくれないか!」

名指しで言われてしまえば無視もできないために仕方なく拾い彼のほうに思い切り投げた。テニスボールは幸村精市の頭上を通り過ぎてその奥にいた去年までのクラスメイトの仁王雅治の後頭部にぶつけてやった。

始業式では、幸村精市に曲想を練っている私に話しかけ、下手な部活扱いされ、私を部長だと知って漏らした言葉が「ありえない」、更に柳蓮二には変わり者扱いされ、丸井ブン太からは地獄耳、真田弦一郎にはたるんどると。

そう、私にはテニス部の部室内の会話が全て聞こえていた。何故ならその時にはすでに部室の前に私がいたからだ。私から言わせて見れば変な光まとってたり凄いジャンプ力を持つあなたたちのほうがずいぶんとありえない。

まあその腹いせに去年仲良かった仁王雅治に、テニス部レギュラー全員分をまとめて仁王雅治一人へ仕返しをしたまでのこと。
責任はあの中で一番親しいものにとってもらう。
彼が頭を抑えこちらを向く前に私はすでに校舎の方へ向かって歩いていた。逃げたと思われるのがいやなので走らずに歩いたのだけど放課後の掃除は確実だ。
とりあえず私の姿が確認できたと思うので私の仕業だということやさっきの仕返しということくらい詐欺師と呼ばれる彼ならわかっているだろう。

帰宅後に「痛かったぜよ」とか文句の電話がかかってくるのは目に見えているがまあ、いいか。



「基礎練習はいりまーす」
私の掛け声で全員着席して楽器を床に置き腹式呼吸が始まる。腹式呼吸は吹奏楽の基本。
そのあとは、発声練習やキーボードを使っての音感練習に音を綺麗にするためのロングトーンや唇の動きを滑らかにするためのリップスラー、ハーモニーの練習などなど挙げるときりがないのだが、1時間半程度して基礎は終わり。

「じゃあ、さっき配った楽譜もってピッコロから入って来てね。その次に呼ばれた人は余分に出してもらった楽器も一緒に持ってきてください。呼ばれるまでは課題曲を練習すること。」

そう言い、全員の揃った返事を聞いてから自分のトランペットと最初に組み立てておいたピッコロと譜面台を持って音楽準備室に戻った。
すこしピーピー鳴らした後、「いきます」と言うとピッコロ4名の顔つきも真剣なものになり私の演奏を聴いた。

そして全パートの楽譜を吹き終えたが、やっぱり私の演奏に音やリズムなどのミスはなく、ほぼ完璧だったといえる。
このようなことを、私はコーラス部、高等部の吹奏楽部にまでもやりにいっているのだ。


管楽器弦楽器を含め、基本的に私はふけない楽器、弾けない楽器がない。それも全てにおいてかなりのレベルで演奏することができる。

普通はそんなこと不可能に近いのだけど私はそれを小学生のときに難なくやってのけた。


小学校低学年から私の音楽のピアノの才能は開花し、小学校中学年ではあらゆる楽器を自分のものにした。音楽の才能が開花したと言っても過言ではない。
中学にあがる頃にはあらゆる結果を残し、音楽の名門校または海外からのスカウトが耐えなかった。
けれどその時点で音楽の知識も覚えることはなかったしそこらへんの奴と混じって同じ音楽を教えられるというのがいやだった。
だからスカウトはおろか、海外に行く気などさらさらなかった。


ある日、家からたまたま近かった立海大付属中学に見学に行ったときに大学のほうのオーケストラ部を見学したんだ。
上手いとも下手ともいえないというのが印象的な部だ。そのオケ部への挑戦状としてその当時ハマっていたヴァイオリンを弾いてみると、彼らよりも自分のほうがレベルが上ということが解り、ノリで全パートを回ったが、全てにおいて私のほうがレベルが上なことは誰が聴いてもわかっただろう。
あのときのオーケストラ部の顔は本当に面白かったのを今でも覚えてる。なぜなら凡人には無理だからだ。サヴァン症候群ならできる人も居るかもしれないけれど。

後に見学した中学高校の吹奏楽部は今度は私がびっくりするくらい少人数でへたくそで正直引いた。
その時に、私の頭の中は音楽のレベルが上の中学に入って全日本を目指すのではなくて、自分でこのヘボ部を全日本レベルに変えた方が気持ちがいいだろうと考え、周囲の反対を押し切り自らこの学校に入り吹奏楽部に入部して、管楽器で1番得意のトランペットパートに入った。そして見事自分の指導力の才能もここで開花され中学1年の入学して1ヶ月で顧問の推薦で皆を教える立場へと変わった。
いや、まさかさすがにココまで指導力の才能まであるとは自分でも思ってなかったなあ・・・。

ものの見事に廃部寸前ヘボ部と呼ばれたこの学校の吹奏楽部はたった3ヶ月で私の手によって全国レベルへと成長させたのである。





人は私のことを天才という。








Marcinkiewicz主人公のトランペット